2月15日(金)21:30~55の放送「ららら♪クラシック タンゴの真実~その歴史からピアソラまで」(Eテレ)ご覧いただきましたでしょうか? 30分番組なので、当初私の方で提案したり、撮影してあったものでもカットされてしまったものもあります。より深い理解の助けにもなろうかと思いますので、その点を少しまとめておきます。
タンゴは1900年代後半から徐々に海外でも知られるようになり、特にヨーロッパにはたくさんのアルゼンチンの音楽が渡っていった。(この関連でビアンコ=バチーチャ楽団の「プレガリア」のSP盤をかけるシーンを撮影したが、カット。)1925年にはタンゴ王フランシスコ・カナロがパリ公演を成功させ、国際的に広くタンゴが知られる象徴的出来事になった(この関連でカナロ楽団の「パリのカナロ」のSP盤をかけるシーンを撮影したが、カット。)
一方アルゼンチンではレコードの普及、歌のタンゴの隆盛などを背景に、タンゴは1920年代末に第一次黄金時代を迎え、当時最も進んだ音楽をやっていたのが、フリオ・デ・カロ。(彼の1928年のレコード「ボエド」 Boedoを説明しながら手持ちのSP盤からかけるところを撮影したが、使われず。)



さらに1940年代にタンゴは第2の黄金期を迎える。その当時から活躍していたメンバーということで、1974年に来日したカルロス・ガルシーアとタンゴオールスターズの映像「ラ・クンパルシータ」が登場。(デ・カロの話のところでも同じときの映像から「愛しき故郷」Tierra queridaの演奏シーンが登場、バイオリン・ソロは最後期のデ・カロ楽団にも参加していたエミリオ・ゴンサレス。)


番組ではこの後、映像があるものを優先したので、サルガン(キンテート・レアル)、ピアソラという流れになっていたが、番組でも使われていた巨匠たちの写真にある通り、本来ならフリオ・デ・カロ→エルビーノ・バルダーロ→アニバル・トロイロ そしてその後並列で オスバルド・プグリエーセ=オラシオ・サルガン=アストル・ピアソラ といきたかった。ここにマフィア、ラウレンス、アルフレド・ゴビなどあと数名加えるといわゆる「デ・カロ楽派」 Escuela decareanaの系図が出来上がる。

タンゴがダンスをする音楽であることを否定しない範囲で、自然な感情表現としてのテンポの変化・揺れを加え、楽器のソロを編曲に組み込んだ、という点がデ・カロ楽派の共通の革新性である。さらにトロイロは(特に初代ピアニスト、オルランド・ゴニの影響によって)低音に強烈なグルーヴ感・スウィング感を持たせ、プグリエーセは放送でも説明されていた「ジュンバ」と呼ばれるリズムを採用、楽器のソロやフレージングにも大きな特徴を持たせ、サルガンは複雑で多様なシンコペーションを組み込むことによって独特の躍動的なスタイルを生み出した、といった感じでそれぞれの個性が出来上がっていく。
ピアソラはトロイロのグルーヴィなリズムをさらに誇張したスタイルからスタートしたものの、次第にダンス出来る音楽であることをやめ、聞かせることに重点を置いたスタイルに変化していった。
一方オラシオ・サルガンは1958年にオルケスタを解散、翌59年からエレキギターのウバルド・デ・リオとのデュオで活動再開、ほどなくさらに3人を加えキンテート・レアルとなったが、楽器編成は翌年のピアソラ・キンテートと同じだった(バンドネオン、バイオリン、ピアノ、エレキギター、コントラバス)。
番組で使用されていたキンテート・レアルの映像は1964年にNHKの「夜のコンサート」に出演した時のもので、本来私の手元にあった16ミリフィルムを使う予定だったところ、何と今回故・大岩祥浩氏のもとに同じ内容の16ミリフィルムがあったことがわかり、より状態がよかったのでそちらが使用された。

ピアソラの演奏シーンの映像はNHKのアーカイヴにあった映像で、1970年のブエノスアイレス取材番組からの映像。ピアソラの語りのみ使われていて、あとはミケランジェロのステージでの音声のない映像が少し登場していたが、実は他にピアノに向かって「白い自転車」の譜面を書いているシーンもあったし、場所不明の屋外でキンテートをバックにフェレールが「白い自転車」を語っている映像+音声のシーンもあった。

30分という制約を鑑みれば、エッセンスはうまく伝わったのではないかと思うし、何より小松亮太キンテートによる演奏と特殊奏法の説明はより一層タンゴの魅力を伝えていると思う。
今回使われなかった昔の巨匠たちの映像はこれからもアーカイヴとして残るわけで、何かの機会にまた陽の目を見ることを期待したい。
番組の再放送は2月21日(木)10:25~10:55なので、見逃した方はぜひチェックを。
再放送の予定