Cafe de Panchito blog

西村秀人によるアルゼンチン、ウルグアイほかラテンアメリカ音楽について
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アルゼンチン・タンゴとハーモニカのこと(2) ウーゴ・ディアスの後継者たち

ウーゴ・ディアスが作り上げた個性的なハーモニカによるフォルクローレ&タンゴ演奏のスタイルはその後のハーモニカ奏者の手本となった。
 世代的に一番年上はルイス・サルトス Luis Saltosだろう。1963年からヒット作「ミスター・トロンボーン」のレコーディングに参加(トロンボーンとハーモニカを中心としたイージーリスニング)、その後ソロ奏者として多くのレコードを制作してきた。ウーゴ・ディアス同様フォルクローレとタンゴのレパ―トリーが半々ぐらいで、(アルゼンチンのミュージシャンには時々あるパターンなのだが)副業として床屋も営んでいた。ここ10年ほどはあまり活躍の話を聞かなくなったが...
https://www.youtube.com/watch?v=UjrRE3ENUOo
(ウーゴの娘で歌手のマビ・ディアス、ドミンゴ・クーラ、モノ・ぺレイラという豪華メンバーとの共演)
https://www.youtube.com/watch?v=d1uPaAyW-Y0
(1998年コスキン祭での「ウーゴ・ディアスへのトリビュート」、タンゴを演奏している)

その次に来るのがパコ・ガリード Paco Garridoだろう。彼は現在も活躍を続けており、ルイス・サルトスに比べるとタンゴよりフォルクローレに傾倒しており、演奏スタイルもよりウーゴ・ディアスに近い。
https://www.youtube.com/watch?v=NEcOveG7ZRk
https://www.youtube.com/watch?v=L2VrUEeLk2I
(いずれも2015年のニューアルバムのプロモーションビデオ)

現在最も幅広く活躍している若手がフランコ・ルシアーニ Franco Luciani。1981年ロサリオ生まれの36歳で、2002年に参加したコスキン祭で器楽演奏家の新人賞を受賞、海外公演も多数行っている。現在までデュオからクアルテートまで様々な自己のグループで、タンゴ、フォルクローレ、ジャズと幅広く10枚近いアルバムを制作しており、歌手や演奏家のアルバムへのゲスト参加も数多い。
https://www.youtube.com/watch?v=Y9oQavA6ayE
(2008年のコスキン祭でマビ・ディアスとの共演、曲はウーゴ・ディアスの代表作「天使のサンバ」)
https://www.youtube.com/watch?v=MQsi-dVAISU
(近年のプロモ映像)

そして今回5月に東海地区で公演を行うジョー・パワーズ Joe Powers。2005年にドイツで行われた世界チャンピオンシップで優勝、その年に「ワールド・オブ・ソングス」という世界の名曲集のアルバムをルイス・チャイルズとの共同名義で発売。ソロとしては2007年にブエノスアイレスで録音した「アモール・デ・タンゴ」が最初のアルバムとなる。これはニコラス・レデスマ(ピアノ)、ラウル・ルッツイ(ギター)、オラシオ・カバルコス(コントラバス)というすごいメンバーをしたがえたアルバムだ。その後鈴木ハーモニカを愛用していることもあり、たびたび来日するようになり、ニコラス・レデスマの高弟でもある青木菜穂子(ピアノ)との共演も2008年から始まり、2015年にはデュオのアルバム「Jacaranda en flor」を発表している。アメリカ人でありながらアルゼンチン・タンゴをこよなく愛しているハーモニカ奏者だ。
https://www.youtube.com/watch?v=pzUm5JgNlvk
(日本で谷口楽器によった際に「ロス・マレアドス」をソロで演奏している映像)
https://www.youtube.com/watch?v=3D_wAoEu8ZM
(青木菜穂子とのデュオによるタンゴ「ミ・ドロール」)

この他にもカタラ=ネグリ=ウルバーノ・トリオ(ハーモニカはハビエル・カタラ、彼はフルート奏者でもある)、タニーノ・ドゥオ&トリオ(ハーモニカはサンティアゴ・アルバレス)などのグループも活躍している。
https://www.youtube.com/watch?v=3ylQOCTZTCU
(タニーノ・ドゥオのタンゴ「最後の酔い」)
【 2018/04/17 (Tue) 】 雑記 | TB(-) | CM(-)

アルゼンチン・タンゴとハーモニカのこと(1) 巨匠ウーゴ・ディアス

 ここしばらくよく日本を訪れているクロマチック・ハーモニカ奏者にジョー・パワーズ Joe Powersがいる。彼はアメリカ人で、もちろんジャズやブルース、クラシックなどの演奏にもその手腕を発揮するが、何よりアルゼンチン・タンゴやフォルクローレに特別な愛情を持って演奏している。今回4月末~5月初頭に来日し、ピアノの青木菜穂子とのツアーがあるようなので、あらためてタンゴとハーモニカのことをまとめておこう。

 ジョーがタンゴの演奏に特別力を入れ、足しげくアルゼンチンを訪れているのは、アルゼンチンのハーモニカの巨人、ウーゴ・ディアスの存在が少なからず影響しているのだと思う。

 ウーゴ・ディアス Victor Hugo Diazは、1927年、アルゼンチンのフォルクローレの郷、サンティアゴ・デル・エステーロ州に生まれた。5歳の時、サッカーボールが目を直撃したことで視力を失ってしまうが、その入院中手にしたハーモニカを巧みに演奏するようになる。その頃のアルゼンチンではハーモニカはまだ一般的な楽器として認められていなかったが、ウーゴが入院した当時シャルルCharlesというフランス風の名前の演奏家が率いるハーモニカ合奏団がアルゼンチンのラジオやレコードで活躍しており、少年ウーゴはその演奏にあこがれ、父に楽器を買ってくれるようにねだったのだという。
 その後、少し視力を回復したウーゴはすぐにプロとして演奏を始める。折しも地方ラジオ局が出来始めた頃で、ハーモニカの天才少年の演奏は初期のラジオ番組にはうってつけの話題だった。のちに義理の兄弟になる同郷のパーカッション奏者ドミンゴ・クーラと出会ったのもその頃だ(ドミンゴ・クーラはウーゴ・ディアスの妹で歌手のビクトリアと結婚した)。
 1944年、17歳の時に初めてブエノスアイレスで公演、2年後には本格的にブエノスアイレスに拠点を移し、1949年から自己のグループ「ウーゴ・ディアスとそのチャンゴス(悪ガキたち)」というグループを盟友ドミンゴ・クーラ、妹ビクトリア・ディアスらと結成、ラジオに出演し始める。ウーゴの驚異的なテクニックと、野性味あふれる独特の音色は大きな反響を呼び、1950年、最初のレコードをTKレーベルに録音、曲目はアルパの独奏曲として知られる「鐘つき鳥」(Pajaro campana)をハーモニカで見事に演奏してみせたものだった。
 1953年には欧州公演にも出かけ、ベルギーでハーモニカの伝説的名手ラリー・アドラー、ジャズハーモニカの先駆者トゥーツ・シールマンスと出会い、その演奏を称えられたという。ハーモニカという楽器の特異さが功を奏したこともあるが、ウーゴ・ディアスはフォルクローレの演奏家の中で、ヨーロッパで公演を行った先駆的存在となった。
ウーゴ・ディアスのレコードはTK(1950年代)、PAMPA(1953年頃)、Disc Jockey(1960年頃)、RCA(1960年代~1971年)、Tonodisc(1972~1975年)に残されている。一部をのぞきこの時期の録音は長らくSP/LPで発売されたまま、復刻されることもなかったが、2001年からアルゼンチンのAcqua Recordsで1971年までの全録音を2枚組×全5巻で復刻するシリーズがスタート、日本でも私が日本語解説を書いて日本盤として配給された(全5巻のうち、結局第3巻は本国でも発売されずに終わってしまい、日本では第4巻と第5巻のみまだ在庫があるようだ。)
http://www.ahora-tyo.com/artist/artist.php?anm=HUGO+DIAZ

 1960年代に入るとテレビ番組にもよく出演し、この点でも先駆者であったという。
 1972年、トノディスクというレーベルに録音を開始する。ここまで録音してきたのはほとんどがフォルクローレだったが、トノディスクの第1弾のアルバムは初めてのタンゴ集だった。それまでもステージではタンゴを演奏してきたようだが、録音はこの1972年のアルバム「ブエノスアイレスのウーゴ・ディアス」が初めてだったのである。名手ホセ・コランジェロをバックにしたがえ、唯一無二の個性的なスタイルで演奏されたタンゴ集は、ほどなく日本でも発売され、好評を得て、都合3枚制作のタンゴ集がされた。この時の3枚の録音はアルゼンチンではあまり復刻されていないが、日本では2枚組CDとして斎藤充正氏の監修でビクターからまとめて発売されたことがある。
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A006515/VICP-60902.html
それと並行して同レーベルでフォルクローレのアルバムも3枚制作され、そちらは2003年に私・西村の企画・監修・解説によりビクターから2枚組CDにまとめて発売された。
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A006515/VICP-62181.html

そして1975年、カルロス・ガルデル没後40周年を記念したガルデル名曲集を録音(この1枚だけはアルゼンチンでたびたびCD化されている)、その後ジャズ・スタンダード集を録音(アルゼンチンで一度だけCD化されたが、日本にはほとんど輸入されなかった)、それが最後のアルバムとなってしまった。
享年50歳。ウーゴ・ディアスはフォルクローレ界でも有数の酒飲みで、1970年代のアルバムの録音時にしらふだったことはほとんどなかったらしい。晩年のレコーディングに荒い息遣いが入っているのはそのせいである。

ウーゴ・ディアスのスタイルは一世一代の個性的なものだったが、その素晴らしさ故多くの追随者を生んだ。
【 2018/04/17 (Tue) 】 雑記 | TB(-) | CM(-)

カルロス・アギーレ La música del agua 2018日本ツアーのレパートリーから(2)

カルロス・アギーレ La música del agua 2018日本ツアーのレパートリーから
(2)アルフレド・シタローサの作品 「エル・ロコ・アントニオ」「ベーチョのバイオリン」

De los repertorios del Tour japonés 2018 de Carlos Aguirre “La música del agua”
(2)”El loco Antonio” y “El violín de Becho” de Alfredo Zitarrosa

作者のアルフレド・シタローサは、前回紹介したアニバル・サンパージョと同じくウルグアイ人。1936年モンテビデオ生まれで、独学でギターをマスター、7歳の時に地元のラジオで弾き語りをしてデビューしている。歌手・ギター奏者の他、アナウンサー、ジャーナリストとしても活動していた時期があり、1958年に出版した詩集はモンテビデオで賞を受賞している。1961年、TVのジャーナリストとしてペルーに行った際に、正式に歌手としてプロデビューを果たす。1966年、ウルグアイでデビューレコード「ある娘のためのミロンガ」Milonga para una niñaが大ヒット、翌年からはアルゼンチンでも録音を開始。しかしウルグアイ軍政下で放送禁止措置を受け、1976年アルゼンチンへ亡命、そこからさらにスペインに亡命した。しかしそこでも軍事政権から任命されたウルグアイ大使と対立、さらにメキシコへ拠点を移す。1983年アルゼンチンでリサイタルを開催、翌年ウルグアイへ帰国。しかし亡命生活の疲れと、帰国した祖国への失望から体を病み、1989年、52歳で死去。本人の意思でしかるべき治療をせずに亡くなったので、一種の自殺だったとも考えられている。
独特の鼻にかかった歌声とウルグアイ人独特のなまりと語り口は、ウルグアイ・フォルクローレのシンボルであり、フォルクローレと都会をつなぐ存在でもある。また数々の作品により、後世のアーティストに多大な影響をも与えている。
Alfredo Zitarrosa EL loco antonio CD 1
”El loco Antonio”(エル・ロコ・アントニオ)は、アルフレド・シタローサの知り合いで実在の人物に取材した作品。本人はこの曲で「ロコ」と呼ばれたことで怒っていたそうだ。

「エル・ロコ・アントニオ」
おまえが思っているミロンガ
それこそがおまえが語ろうとしていること
悲しみとともに俺のところに来るんじゃない
だから俺はもう考えないんだ
おまえは俺が彼女を愛していたという
おまえがそんなにおしゃべりだなんて
サンタ・ルシアのことでも話してろ
21年も前の話だ
やぶの上にかかった鉄橋
水はどこへ行くでもなく、海のように
月はやつを捨て
ぬかるみを水浸しにする

ロコのアントニオはことさら愛していた
木でできたオールとはしけを
水位が下がるとやつが見えてくる
思いにふけりタバコを吸わせてやれ
橋を横切ると、ミロンガよ
泉のわきでサギたちが不満げに鳴く
そんな場所があることを思い出せ
考えてもみろ
あの頃おまえは思い出したがっていた
もうサンタ・ルシアがあったことを
その橋も、その運河も


もう1曲「ベーチョのバイオリン」El violín de Bechoはあまり「水」に関係した曲ではないが、やはり実在の人物に取材した曲。ベーチョとは、シタローサの親しい友人でクラシックの名バイオリニストでもあったベーチョことカルロス・フリオ・エイスメンディ(1932-1985)のこと。よくシタローサの家や練習場所にやってきてはミロンガのリズムで即興を楽しんでいたという。シタローサの死後に発売された未発表録音の中に、シタローサ所有のポータブル・テープレコーダーで録音されたベーチョとのセッションが数曲残されている(それ以外にはベーチョがオラシオというギタリストの伴奏でタンゴを演奏したEP盤がある)。その後ベーチョはベネズエラのマラカイボ交響楽団やボリビアのラ・パス交響楽団に所属、ヨーロッパでもミュンヘンやバルセローナで演奏した。

この「ベーチョのバイオリン」は彼がバイオリンを弾き始めた頃の少年としての苦悩がテーマになっている。歌と歌の途中に入る独特のメロディーは、ベーチョがシタローサとのセッションでよく使ったフレーズだそうだ。なお、ベーチョのお母さんは、軍事政権下で曲を禁止されたアーティスト(シタローサ)にゆかりのある人物の母親、というだけで軍事政権時代に自分の創設した学校で教えることを禁じられたという。

「ベーチョ」も「エル・ロコ」も本人は何度か録音しているが、ソンドールへの録音がベスト盤に収録されており、また1973年にアルゼンチンのミクロフォンで録音したアルバム(かなり以前に日本でもLPで出た)にも収録されている。後者ではフェルナンド・スアレス・パスなどアルゼンチンの名バイオリニストたちがバックをつとめている。「ベーチョ」はメルセデス・ソーサの演唱も定評ある名唱。
Alfredo Zitarrosa El loco antonio Becho CD 1
「ベーチョのバイオリン」

ベーチョはオーケストラでバイオリンを弾く
まるで先生がいなくなった子供のような顔をして
オーケストラは彼の役には立たない
彼にあるのは彼を苦しめるバイオリンだけ

バイオリンがベーチョを苦しめるから
彼の恋心も同じだけどね、少年たちよ
ベーチョは苦悩や愛に名前をつけない
人間のようなバイオリンを欲しがっている

ベーチョは愛してもいないバイオリンを持つ
でも彼はバイオリンが自分を呼んでいると感じる
夜になるとまるで後悔したかのように
その悲しい響きを再び愛する

木で出来た栗色の蝶々
絶望する小さなバイオリン
ベーチョがそれを弾かずに黙らせている時
バイオリンは彼の心の中で響き続けている

生と死、バイオリン、父と母
バイオリンは歌い、ベーチョはメロディーとなる
もうオーケストラでは演奏しない
そこで愛し、歌うのは骨が折れるから
【 2018/03/05 (Mon) 】 Carlos Aguirre | TB(-) | CM(-)

カルロス・アギーレ La música del agua 2018日本ツアーのレパートリーから(1)

カルロス・アギーレ La música del agua 2018日本ツアーのレパートリーから
(1)アニバル・サンパージョの作品「鳥たちの川」「ラ・カニェーラ」

De los repertorios del Tour japonés 2018 de Carlos Aguirre “La música del agua”
(1)“Río de los pájaros” y “La cañera” de Aníbal Sampayo

作者のアニバル・サンパージョ(1927-2007)はウルグアイ・パイサンドゥー出身。ギターと歌の他、珍しくパラグアイ・スタイルのアルパの名手でもあり、アルパの演奏によるパラグアイ曲集も多数残している。
1939年、12歳の時に兄弟3人でトリオを組みデビュー。1941年にレオナルド・メラーノとデュオを組み、この活動は約30年継続したという。1940年代半ばからフォルクローレの研究にも従事、ラディオ・パイサンドゥーでDJも担当する。その後パラグアイ音楽のトリオやフォルクローレの様々なグループで演奏。1956年、アルゼンチンでソロ歌手として最初のレコードを録音。1964年「鳥たちの川」がコスキン・フォルクローレ・フェスティバルで受賞、1967年にはキューバで行われた「プロテスト・ソング・フェスティバル」に参加、ウルグアイを代表する社会派シンガーソングライターとなり、多くのアルバムを発表。しかし1972年、都市ゲリラのトゥパマロスのためにアルゼンチンとチリから武器を運んだ疑いで逮捕され、軍事政権下の1980年まで9年間を監獄で過ごす。解放後すぐにスウェーデンに亡命、その後ヨーロッパでしばらく活動し、1985年ウルグアイに帰国。1999年カルロス・アギーレ主宰のシャグラダ・メドラ・レーベルからアルバム「デ・アンティグオ・ブエロ」を発表。見事な健在ぶりを示したが、2007年80歳で死去。

“Río de los pájaros”(鳥たちの川)は、アギーレが毎回コメントしていたように、国名および川の名前である「ウルグアイ」がグアラニー語で「鳥たちの住む川」を意味しているので、「ウルグアイ」そのものの意味である。上記の通り、1964年のコスキン祭で受賞した出世作であり代表作の一つ。川で生活する家族の様子が描かれている。本人の録音はソンドール・レーベルのベスト盤でCD化されている。

Anibal Sampayo Canera Rios los pajaros CD 1

「鳥たちの川」

ウルグアイはただの川ではない
それは旅をする青空
雲の絵描きよ、私は通りに香る蜜と共に

水辺の恋は行先のない恋
希望のホテイアオイを
川が運んでいく

チュア チュア チュアハハハ
モリバトよ、これ以上歌わないでおくれ
セイボの森が血の涙を流すから

洗濯をするモレニータよ
水辺のナンベイヒメウ(ビグア)よ
スカートをぐるぐる巻くにするんだ
服の洗濯にとりかかるんだ

おまえの母は干し肉を作る
おまえの父は川の上流へ
そしておまえは一人残された
水辺で服を洗濯しながら


もう1曲の“La cañera”(焼酎醸造所)はウルグアイで非常にポピュラーな砂糖黍で作られる蒸留酒カーニャが飲まれるいろいろな場面をユーモアたっぷりに描いた作品。チャマリータというウルグアイ独自の軽やかな形式(リトラルの形式「チャマメ」とは全く無関係)。本人の録音は上記「鳥たちの川」と同じソンドール・レーベルのベスト盤でCD化されており、オリジナル・アルバムは現在AMAZONなどのダウンロードで入手可能。

Anibal Sampayo Sondor La canera


「ラ・カニェーラ」
悪さをする蒸留酒
俺の貧しさをあたためておくれ
貧しい男は憎しみを吸い込み
金持ちは軽妙に飲む
がんばれ、ドン・パンチョ・ソーサ
嵐を突き刺すんだ
うまい蒸留酒で夢中になるんだ
遠くからミントをもってやってくる
ブラジルの蒸留酒
おまえなら香りでわかるはず
のどにぐっときて
丘を登り始める
入り組んだ鹿毛の蒸留酒は唐辛子のよう
おまえのせいで、なまず(スルビ)が俺の釣り糸を切ってしまった
チャマーラの音楽には
住み込みで働くあのモレーノの8本の指使い
弾くたびに彼の魂を泣かせている
それは伝統的な心だからだ
水筒の中に残り、私の魂を裏返す
家畜泥棒が警察に出くわしたのとピッタリ同じ
戻りたがる蒸留酒よ、俺は小瓶の中のおまえがわかる

上記2曲は入っていないが、Shagrada Medraに残されたアニバル・サンパージョのアルバムもぜひ聞いていただきたい。アギーレはもちろん、パラナーの名ギタリスト、ミゲル・“エル・スルド”・マルティネスも参加している。

Anibal Sampayo Shagrada Medra CD 1
【 2018/02/12 (Mon) 】 Carlos Aguirre | TB(-) | CM(-)

以前ブログでも紹介しましたが(過去記事はこちら)、2013年9月にウルグアイ・モンテビデオで行われた国際コロキアム「タンゴ 昨日と今日」で行われた参加者全員の講演を論文化した本 "El Tango Ayer y Hoy"(Centro Nacional de Documentacion Musical Lauro Ayestaran, 2014)の内容が出版元にセンターのHPから無料でダウンロード出来るようになりました。

CDMのHP Tango Ayer y Hoy所収論文一覧

各論文の最後のページ数の所をクリックすれば、該当部分のPDFが出ます。保存も可能です。私が書いたのはHideto Nishimura: Tango en Japón: entre lo japonizado y lo auténtico(日本におけるタンゴ:ジャパナイズと真正性の間で)ですが、他にも南米コロンビア国のタンゴ、フィンランドのタンゴ、エルネスト・ナザレー以前のタンゴ・ブラジレイロ、今日におけるタンゴの伝統、アストル・ピアソラ作曲の歌曲の分析、タンゴ「いつまでもここに」の歌詞分析など多様な論文が所収されていますので、興味がある方はぜひダウンロードしてみてください。すべてスペイン語ですが、写真・譜例等もいろいろ使われています。

DSC03697.jpgDSC03856 copiatapa el tango ayer y hoy - def mediaDSC03864.jpg

【 2016/05/29 (Sun) 】 未分類 | TB(-) | CM(-)
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