Cafe de Panchito blog

西村秀人によるアルゼンチン、ウルグアイほかラテンアメリカ音楽について
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ビルヒニア・ルーケ逝去

映画 Cafe de los Maestros(アルゼンチン・タンゴ 伝説のマエストロたち)にも出演、日本のタンゴ・ファンにはたびたびの来日でも知られていた歌手ビルヒニア・ルーケがブエノスアイレスで亡くなりました。享年86歳でした。

TELAMの記事

LA NACIONの記事

10代半ばでデビュー、多数の映画出演により女優として大きな名声を獲得したが、病床にあった最晩年のタンゴ歌手アスセナ・マイサニと出会い、生涯タンゴ歌手でいることを決心したといわれています。日本では京王プラザホテルに長期出演した他(この時の伴奏がエンリケ・クッチーニとリベルトリオの初来日でした)、オスカル・バシル指揮のフランシスコ・カナロ楽団と来日公演を行ったこともありました。ブエノスアイレスを訪れた方ならタンゲリーアの老舗「エル・ビエホ・アルマセン」のトリをつとめていたのをご覧になった方も多いかと思います。

また一人、タンゴ黄金期に活躍したアーティストが去ってしまいました。
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【 2014/06/05 (Thu) 】 訃報 | TB(-) | CM(-)

カルロス・パエス・ビラロ―逝去

ウルグアイを代表する現代芸術家であったカルロス・パエス・ビラローが2月24日に亡くなりました。享年90歳でした。
前衛芸術家として著名なだけではなく、アフロ・ウルグアイ文化に深い理解を示し、黒人居住地だったメディオムンドに初めて移り住んだ白人でもありました。カーニバルの時には、カンドンベの太鼓を担いで行進する彼の姿がよく見られたそうです。
1969年には監督として映画「鼓動」(Pulsacion)を制作、前年に「ブエノスアイレスのマリア」を発表し充実した活動期にあったアストル・ピアソラに音楽を依頼、同名のサウンドトラック盤はトローバ・レーベルから発売されました。

カンドンベやカーニバルなどのアフロ・ウルグアイ文化に関する本や、カンドンベの作詞・作曲も多数手がけ、非アフリカ系でありながら、アフロ・ウルグアイ文化を広く紹介するのに貢献しました。
私は何度かウルグアイのプンタ・バジェーナ(プンタ・デル・エステから10数キロの場所)にある彼の工房兼美術館兼宿泊設備だった「カサプエブロ」を何度か訪れましたが、1998年に訪問した際は偶然本人が居て、写真を一緒に取る幸運に恵まれました。
Paez Vilaro 1998 099 Carlos Paez Vilaro CD

右のCDは昨年モンテビデオに行った際に入手したCDですが、カルロス・パエス・ビラローが作ったタンゴとカンドンベ作品ばかり、1950年代から最近の録音にいたるまで幅広く選んだコンピレーションで、SP盤で出て以来、このCDでしか復刻されていない録音もあり、個人の音楽面での業績を物語る好編集盤です。

ウルグアイ人の中には、白人であるカルロス・パエス・ビラローが、黒人の文化を略奪して富を得たと非難する人もいます。しかしアフロ・ウルグアイ文化を世に広く知らしめるのに、彼の音楽作品や活動・行動が果たした役割はとても大きいものだと思います。
彼のアフロ・ウルグアイ文化へのまなざしは、ピカソのアフリカ文化に対するまなざしや、岡本太郎の沖縄文化に対するまなざしに近いものがあったのではないかと想像します。

【 2014/02/24 (Mon) 】 訃報 | TB(-) | CM(-)

エドゥアルド・ファルー逝去

日本にもたびたび来日し、多くのファンを持つアルゼンチン・フォルクローレの名ギタリスト、エドゥアルド・ファルーが亡くなりました。1か月ほど前に90歳になったばかりでした。
アタウアルパ・ユパンキと並び称される巨匠であり、その高い技巧はクラシック・ギターのファンをもとらえていました。日本には戦後クリスマール・レーベルのSP盤で「タバカレーラ」「ビダリータ」が紹介され、大きな反響をよび、のちポリドールからTK原盤、フィリップス(当時はビクター)からPhilips原盤のアルバムが多数発売されました。初来日は1963年で、ユパンキより1年早い初来日でした。以後たびたび来日し、息子フアン・ホセ・ファルーとともに来日し、東京ローカルの番組に出演したこともありました。
 私はなぜかアルゼンチンでしか聞いたことがなく、ブエノスアイレスの劇場でサルタの子供たちを救済するチャリティー・コンサートにセサル・イセラ、オラシオ・グアラニーらと出演していました。速いテンポの「雪が降る」Nevando estaで観客を圧倒していたのが思い出されます。
ご冥福をお祈りいたします。

ファルー逝去を伝えるLA NACIONの記事

Falu in Japan 1969 677
Album grabado en Japon en 1969, donde incluye un tema con "Koto" japones.

【 2013/08/11 (Sun) 】 訃報 | TB(-) | CM(-)

オスバルド・ファトルーソ追悼

残念な訃報です。

今年も来日するウーゴ・ファトルーソの弟であり、ウルグアイ屈指のドラマー、オスバルド・ファトルーソが昨日亡くなりました。享年64歳でした。

2008年夏にグラストン・ガリッツア+トリオ・ファトルーソ公演で来日したのが唯一の来日になってしまいました。その時名古屋でトリオ・ファトルーソの3人にインタビューしたのですが、とにかくオスバルドがほとんど言葉を発しないので困ってしまった想い出があります。帰国後オスバルドから1通のメールをもらいましたが、それも普段のしゃべりと同じで、すごく言葉少ななものでした。

今年初めに出た TRIO FATTO-MAZA-FATTO / Tango del Este が最後のレコーディングだと思います。
Los ShakersからOpa、Trio Fattorusoまでいつも一緒だったウーゴの悲しみは大きいことでしょう。

つい昨日も最近の彼の写真を見つけて「少しやせたね」などと相方と話していたところでした。

かつてのパートナーだったマリアーナ・インゴルドとの名作群も思い出されます。
ウルグアイとアルゼンチンのミュージシャンに大きな影響を与えた人でした。

オスバルド・ファトルーソ逝去記事

ご冥福をお祈りいたします。
【 2012/07/30 (Mon) 】 訃報 | TB(-) | CM(-)

レダ・バジャダレス逝去

残念ながら訃報です。

アルゼンチン民俗音楽の偉大な研究者であり、作詞・作曲・歌手としても活躍してきたレダ・バジャダレスが7月13日に93歳で亡くなりました。
長くアルツハイマー病を患っており、ここ数年は活動を停止していました。

La Nacion紙の記事

1919年トゥクマンに生まれ、ジャズ歌手としてキャリアをスタートするも、その過程で多くのフォルクローレのアーティストと出会い、その後ヨーロッパ、ベネズエラ、コスタリカで活動、1952年にマリア・エレーナ・ワルシュと「レダ・イ・マリア」を結成、フランスとアルゼンチンでレコードを録音している。
1960年からアルゼンチン各地を回って採譜した音楽を集めた「アルゼンチン音楽地図」シリーズをレコード化し始める。以後CD時代に至るまで数多くの現地録音アルバムと自己名義のアルバムを制作してきた。1988年にメロペア・レーベルから発表した「空での叫び」(Grito en el cielo)と1992年の「太鼓でつづるアメリカ大陸」(America en cueros)は後期の傑作でしょう。
多くの現代のミュージシャンからも尊敬を集めており、特にカハを叩きながら歌うビダーラが広く知られるようになったのはレダの功績によるところが大きいと言えます。

***********
昨日(7月12日)には、タンゴ界でも素晴らしい活躍をされていたコントラバス奏者松永孝義さんも亡くなられました。ほんの二言三言交わしたことしかありませんでしたが、その二言三言にすごく人柄があらわれていた気がしたのをよく覚えています。

ご冥福をお祈りいたします。
【 2012/07/13 (Fri) 】 訃報 | TB(-) | CM(-)
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