Cafe de Panchito blog

西村秀人によるアルゼンチン、ウルグアイほかラテンアメリカ音楽について
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レオ・ミナックス LEO MINAX インタビュー 3

ウェブ上にUPするのが遅くなりましたが、レオ・ミナックス・インタビュー・パート3
(最終回)をお届けします。

-------------
レオ・ミナックス・インタビュー : パート3
(2009年7月8日、名古屋)

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foto por Masayo Tanimoto

(パート2からの続き)

* 今回のレパートリーは主として最新作からになるのですか?

-その通り。最近の数枚からの曲が中心になる。日本にはラテンアメリカの音楽を
好んでいる人が多いことは知っているので、スペイン語の歌も少し含もうかと思っている。
コンサートには来るかい?

*ええ、もちろん。

-それはよかった。まだCDには録音していない曲なんだけどね。でも大半は最新作と
その前に録音した曲が中心だ。

* 最新作のコンセプトについて短く言うと?

-「.」(プンク!)かな。ハハハ...以前のアルバムでは出来るだけ完璧をつくそうとした
んだ。もともと私はとりつかれたように仕事するタイプなんだけどね。
でもこのアルバムは私の「叫び」なんだ。だから”Da boca pra fora”なんだけどね。今までは
あとで「こうしたらよかったかな」とか考えないように、以前のアルバムより出来るだけ完璧な
もの、出来るだけ美しいものにしようとしてきた。
以前と同じように録音することも出来たはずなんだけど...でも面白いのは各曲の歌詞は
それぞれつくったものなのに、アルバム全体の特徴があることだ。
アルバムのデザイン、コラージュもいいよね。このコラージュの作家、ション・マッカーウィは
ハサミで切ってコラージュするんだ。webをみてもらうとわかるんだけど、ちょっとした「嫌悪感」
というか、冷たさもあるんだけど、暖かいんだ。
ということで最新作は私の作品の中では一番研ぎ澄まされていないというか、より直接的な
表現というか、「叫び」なんだよ。録ったテイクの数も少なかったし。
あとから直したり、付け加えたりすることもほとんどなかったし。自分ではそんな風に考えている。

* 次のアルバムのことはもう考えていますか?

-うん、ある程度はね。さっき言ったスペイン語アルバムのことがあるし。子供のためのアル
バムのことも考えている。ポルトガル語とスペイン語と日本語でね。バネッサ・ボルヘギアン
とアルバムを作って事は話したと思うけど、彼女とは(録音しなかった)曲がもっとあるんだ。
山本のりこともその話しはしたよ。のりこも子供のために曲を作ることがあるって言ってたし。
 「幸せ星」っていう曲知っている?(...と言って曲を口ずさむ) これは子供のための曲
なんだ。いつどうやって具体化するかは全くわからないけど。
 ↑
(訳注 山本のり子ブログに、「幸せ星」についてのレオとのやりとりが紹介されています。
http://noriko-yamamoto.cocolog-nifty.com/memo/2009/07/post-b1d5.html )

でも考えるよ、常に何か新しいものを作っていかなくてはいけないのだから。でも私はやり始
めると終わるまで時間がかかるんだよね。

LEO_03jpg.jpg
foto por Masayo Tanimoto

* 日本のツアーに何を期待しますか?

-まず、私が自分で演奏を楽しみたい。それでお客さんが私が演奏しているのを見て楽しんで
くれれば、それが最高だ。私が楽しめたら、聞いている人も楽しめるはず。日本には人を
リスペクトする伝統があるし、好奇心も旺盛でしょ? 
ブラジル音楽を聞きたいという人が各地にたくさんいると聞いているし。みんなに言われたよ、
「レオ、日本だったらうまくいくさ。みんなちゃんと聞いてくれるし」って。

* ブラジルに帰るという計画は?

-時々そのことを考える。でも妻のことを考えるとね...ハハハ(笑) どうやったら説得
できるかな...今まで帰りたいと思ったことはすごくあるんだ。
妻はスペイン人で、すごくマドリードの生活を愛しているんだ。マドリードは暮らしやすいし、
快適なところだからね。インフラ整備もよいし。ブラジルは美しいところだけど、いつも
バケーションで行く場所なんだ。
こんなに快適なのに何でブラジルに行かなきゃ行けないの? ブラジルにはバケーション
で行けばいいじゃない、っていう話になりそうだなあ...私にとってもマドリードは快適だ。
でも今ブラジルではすごくいろんなことが起こっている。私がブラジルを出た時は文化省が
なくなってしまった最悪の時代だったしね。

* 来年でブラジルにいた期間よりマドリードで暮らした期間の方が長くなりますね?

-ああ、そうだね。でも僕のスペイン語はますます悪くなっていくけどね(笑)。ブラジルの
アクセントつきで。

*他に何かメッセージは?

-ヒロアキが日本で初めて演奏するために招いてくれたことに感謝したい。名古屋のおいしい
ものも食べたいね。日本に来るということは私の夢でもあったんだ。マドリードでは日本の文化
に対して大きな関心がある。影響も大きい。アーティストだけじゃなくて、一般の人でもそうだよ。

今回「日本に演奏しに行くんだ」って言ったら、「飛行機にしがみついていくから連れて行ってく
れ!」って皆が言ったよ。

DSC_9125-s.jpg
foto por Masayo Tanimoto

* 今回初来日ですが、アジア地域も初めてですか?

-初めてだ。今までアジアに来たことはなかった。

* 昨年スペインからグラストン・ガリッツアが来て公演したんですが、知り合いですか?

-ああ、もちろん。ベロオリゾンチ出身者の中で最良の友だちの一人だ。私の多くの曲の共作者
であり、若い頃一緒にバンドを組んだこともあったマルセロ・サルキスの友だちでね。どのくらい前
だったか忘れたけど、ある日マルセロが連絡してきたんだ。「レオ、目が不自由な素晴らしい
ミュージシャンが来るので、手伝ってもらえないか?」 それで私は彼を空港に迎えに行って、
グラストンとしばらく一緒に生活していたんだ。私が演奏していたところに最初出演して、今でも出演
しているよ。グラストンは素晴らしい音楽家だよ。

         ~ ~ ~

セントレアに到着してまだ数時間という状況でも実にたくさんのことをレオは話してくれた。
その後名古屋でもコンサートの後に話した時には、文学の話になり、特にアルゼンチンのフリオ・
コルタサルの作品に共感できると言っていた。
またオリベリオ・ヒロンドの詩も大好きだという。ヒロンドは一般にはそれほど知られていないが、
その前衛性はアルゼンチンでも特に近年若手のアーティストに再評価されている詩人だ。
スペインにいるレオならではの知見と思われ興味深かった。


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(右)Leo Minax 招へいの、Sambatown・ゼジさん、(中) レオ、(左) 筆者
foto por Masayo Tanimoto

以上

(掲載内容および画像の無断掲載・転載を禁じます)
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【 2009/07/19 (Sun) 】 LeoMinax | TB(-) | CM(-)

レオ・ミナックス LEO MINAX インタビュー 2

レオ・ミナックス・インタビュー : パート2
(2009年7月8日、名古屋)


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(右)は今回Leo Minax招へいをされたSambatownのゼジさん
foto por Masayo Tanimoto

(続き)ライヴではスペイン語でよく歌っているんだよ。初めからスペイン語で作詞することもよく
やっている。私にとって2つの言語で音楽を作ることはとてもいい訓練になっていると思う。
今回のアルバムでは含まれていないけど、いずれスペイン語でのアルバムを、と思っている。

* スペインではいろんなアーティストとの共演する機会がありますが?

-う~ん。ラテンアメリカよりスペインのアーティストが多いかな...ライヴであまり共演する機会
はないが、録音ではいろいろゲストに来てもらっている。フェルナンダ・カブラルとか、あとあの...
二晩寝てないから名前が出てこないなあ...
(訳注 このインタビューは日本到着数時間後に行ったものです)。
彼女は子供のための音楽のアルバムを作ったところで、私と共作した作品が含まれているんだ。
まだ出来上がった音を聞いていないんだけどね... 
あ、名前思い出した。バネッサ・ボルハギアンだ。マドリードに住んでいるサンパウロ出身のアー
ティストだ。彼女の子供向けのアルバムは素晴らしいと思う。
そうだ、日本語とスペイン語とポルトガル語で子供向けのアルバムを作ったらすばらしいと思うん
だけど、どう? 
子供向けのアルバムは必ずしも子供が聞くだけじゃなくて、子供の親たちにも聞いてもらうわけ
だしね。
あと、マドリードに住んでいるウルグアイ人のパブロ・シュートのアルバムにも参加したね。
ダニエル・ドレクスレルのコンサートで共演したこともあったな。マドリードにいるフラビア・エネの
アルバムにも5曲を提供したし...

* マドリードではどんな場所で演奏しているんですか?

-マドリードでは夜さまざまな形で音楽が提供されている。でも奇妙なことにブラジル音楽・南米
音楽をやっている場所は非常に少ない。私がライヴをやり始めた頃、昼間は練習していたし、移動
とかがあって、夜に演奏することが多かった。
マドリードに「オバ・オバ」というブラジル音楽のクラブがある。初めそこに出ていたんだけど、お客
さんは踊りに来る人ばかりなんだ。そこで私はサンバを演奏したんだけど、全然お客さんが乗って
こない。そこでミナスジェライスのバンド「スカンク」のレパートリーを演奏したらみんな踊りだした。(笑) 
これが私の「夜の最初の学校」だった。でもそこ以外には何もなかった。名古屋のカフェ・ドゥフィや
東京のプラッサ・オンゼのような場所はマドリードにはないんだよ。
そこでブラジル音楽専門の場所からは少し距離を置いて、カンタアウトール(シンガー・ソングライター)
の領域に進出することを決心したんだ。スペインで初めて聞いた名称だったんだけど「カンタアウトール」
という響きはとても魅力的だった。
スペインではカンタアウトールが出演する店は色々あって、それぞれの場所にお客さんもついている
んだよ。私はブラジル人のために演奏するのではなくて、スペインにいて、そこにいるすべての人に
向けて演奏することにしたんだ。
私はブラジル出身だから、たとえブラジル音楽の演奏をやめようとしても、ブラジル音楽から抜け出る
ことは出来ない。でもそれでいいのだと思う。
で、カンタアウトールの世界で活動することにした。この分野は他に比べて経済的に豊かではない
から、「カンタアウトールやってるの?」と眉をしかめられることもあったけどね。
マドリードに古くて小さいけどカンタアウトールにとってとても重要な場所が一つある。たしかホルヘ・
ドレクスレルの「ジュエベ」だったと思うけど、そのバルの従業員に対する謝辞があるはずだ。
カナリア諸島出身のペドロ・ゲーラやイスマエル・セラーノなどもこの「リベルター・オーチョ(Libertad 8)」
というバルからスタートしたんだ。すでに名声を得て劇場をいっぱいに出来るカンタアウトールでも、
時々この場所に戻ってくる。そんな店なんだ。

(訳注 このバーの写真:http://www.mapmagazine.com/madrid/Best-Bars-in-Madrid-Libertad-8/

そこで私もそこに出るようになった。「エル・ブオ・レアル(El Buho Real)」にも長いこと出演して、
いろいろなことを試したよ。さらにもう少し大きなバル「ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)」とかにも
出るようになった。今月も1日に「ガリレオ」に出演してきたばかりだ。「スリスタン(Surist醇@n)」
という店にもアルバム「ステレオ13」を出した頃はよく出演していた。
ああ、ちょっと話しすぎているね。適当なところで止めてもらっていいからね。(笑)

* CDではバンドを率いてのスタイルですが、今回の日本ツアーではギターと歌のみですね? 
ヨーロッパでも一人でやることはよくあるんですか?


-もちろん。私はバンドと一緒に音楽をやるのは大好きだ。最近は作曲する時によりシンプルなもの
を指向するようになっているが、それはバンドと一緒に演奏することを考えているからだと思う。
実は初期のアルバムではその点ですごく苦労したんだ。もっと複雑な曲を作っていたので、バンドと
一緒にやろうとした時に大変だった。でも一人で演奏することも重要だ。私は曲を作るときは常に
ギターでやっているので、よりエッセンスに近い。バンドはいわばギターと歌のスタイルの拡大版
ともいえるわけだ。だから私には基本的にはギターと歌だけでもバンドでも同じなんだ。
例えば今回のツアー前に私は5月26日と7月1日にわりと大きなステージに出ている。26日の方は
バンドで出演して素晴らしい出来だった。バンドだと練習も必要だけど、その成果は大きい。でも
途中に2曲をソロで演奏した。そしたらあるお客さんが「レオ、ソロの方が私は好きだよ」だって。
それぞれ好みがあるからね。だからソロもバンドも並行して続けていこうと思う。それぞれの良さが
あるからね。スペイン語アルバムをもし作るとしたらたぶん今までのCDよりもシンプルなものにする
だろうな。ギターと歌にちょこっと楽器を加える程度でね。

DSC_9080-s.jpg
foto por Masayo Tanimoto
more fotos @Cafe Dufi de Nagoya

パート3に続く

(掲載内容および画像の無断掲載・転載を禁じます)
【 2009/07/11 (Sat) 】 LeoMinax | TB(-) | CM(-)

レオ・ミナックス LEO MINAX インタビュー 1

daboca.jpg

スペイン・マドリードから初公演の為来日した、ブラジル・ミナスジェライス州
出身のシンガーソングライター、レオ・ミナックス LEO MINAXに7月8日(水)
インタビューをしました。

ツアー初日公演は7月10日(金)名古屋・Cafe Dufiで開催後、のち大阪・
京都・山形・東京・鎌倉(全国6ヶ所)にて公演を行います。
招へい元:サンバタウン Sambatown


●ツアーオフィシャルblog(日本語)
LEO MINAX Japan solo tour 2009 Official Blog
http://leominax.blog54.fc2.com/blog-entry-8.html

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レオ・ミナックス・インタビュー : その1
(2009年7月8日、名古屋)

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foto por Masayo Tanimoto

*ミナスジェライスのベロ・オリゾンチ生まれですね? ご家族に音楽家は?

-いないけど、みんな音楽が好きだった。家ではほんとうにたくさんの音楽を聞いた。
母はたくさんブラジル音楽を聞いていたし、祖父はギターでショーロを弾いたりしていたしね。
父はクラシックが好きだったから、そちらもたくさん聞いた。

* 「ミナックス」は本名ですか?

-いや、ちがう、芸名だ。22年前からマドリードに住んでいるけど、長いことマドリード
では唯一のミナスジェライス出身者だったから、みんなに「ミナスのレオ」と呼ばれてね。
それで芸名をレオ・ミナックスにしたんだ。

* 先祖はどちらの出身だったのですか?

-父方の祖父はスペイン・ガリシアの出身で、ブラジルのムラータと結婚して、4人の
子供をもうけた。その一人が私の父だ。さらに私にはポルトガル人とインヂオの血も
入っている。典型的なブラジル人だね。

* 最初の楽器はギターですか?

-その通り。小さい時から家にギターがあって、ずっとギターで遊びながら音を出したり
メロディを追ったりしていた。他の楽器もそうだけど、私はいつもそうやって耳から始めて
いるんだ。ちゃんと音楽を勉強しようとしたことも何度もあったんだけど、その都度途中で
飽きてしまってね。
いくらでも近所に音楽をよく知っている人もいたし、友だちから習えば済んでしまっていた
からね。
音楽を勉強したのは大人になってから、スペインに移り住んでバンドと一緒に音楽をやる
ためにアレンジを勉強する必要が出てきてからだよ。やっと自分の音楽をやるためには
勉強しなきゃいけないと気づいたんだ。遅すぎるよね(笑)。

* 若い頃、あこがれていたアーティストとかいますか?

-とにかくいろんなものをいっぱい聞いていたね。今も昔も聞ける音楽という点から言えば、
ブラジルという国はすごくアングロサクソンに偏っている、日本もある意味同じだと思うけど。
まず普通に耳にできるのは英語の歌だったよ。フォークとかプログレッシヴ・ロックとかジャズとか。
ヨーロッパに来てしばらくしたら、私がブラジルで好んで聞いていた音楽は、ブラジル音楽
にしても、アメリカ音楽のフィルターを通したような音楽だったんだなと実感したんだ。
ブラジル音楽から実はすごく遠いところに来ていたことに気がついて、それから少しづつ
ブラジル音楽に向き合うようになっていった。本当の意味でブラジル音楽を勉強し始めた
のはヨーロッパに来てからだよ。プロの音楽家としてそれが必要になったからでもあるけどね。
今までどれほど多くのものを失っていたか、気がついたよ。
だからブラジルにいた頃はアングロサクソンの音楽ばかりだったね。でもなぜかブラジル音楽
のインストゥルメンタルだけはよく聞いていた。もちろんミナスジェライスの音楽も聞いていた。
でもそれは郷土愛とかそういうことでは全くなくて、ブラジル音楽の中でも最もブラジル音楽
らしくないのがミナスの音楽だったからじゃないかと思う。
ジョビンとかヴィニシウスとか世界中に知られているけど、私はそういう流れには興味がない。

* 22年前スペインに行ったのは?

-23歳の時、大学でジャーナリストの勉強を終えて記者になるつもりだったんだけど、音楽も
続けていて、やっぱり音楽でやって行きたいと思いたった。そこでいつどこに行こうというわけ
でもなく、ヨーロッパに冒険旅行に出た。結局はそれは自分を探すための旅だった。
そして結局ジャーナリストの道は捨て、ブラジルにも帰らなかった。で、今に至るわけだ。

* スペイン以外に住んでいたことは?

-約1年ほどパリにいた。まずヨーロッパについてすぐは2ヶ月ほどスペインをうろうろしていた。
その後ベロオリゾンチ時代の友達がパリにいたからパリに行ったんだ。パリならブラジル音楽が
早くから定着していたし、たくさんのブラジル人音楽家が暮らしていたからね。日本でもそうだけど、
パリの人はブラジル音楽を良く知っているし、リスペクトしてくれる。
スペインにはそういう状況はなかった。大学時代パリに憧れがあったしね。でもパリにいて、
思ったよりはるかに多くのブラジル人ミュージシャンが活動していて、一方私は何も音楽を知らない、
ということに気がついた。
で、マドリードに戻って、すぐにブラジルに帰るつもりだった。でも幸か不幸かマドリードで仕事を
得て、結局そのままになってしまった。

* 今はブラジルには時々帰っているんですか?

-今はね。最初の3年ぐらいは全く帰らなかった。とにかくリュック一つでヨーロッパ中を旅して
いたからね。マドリードでちゃんと生活できるようになってからは時々戻るようにしているよ。
両親が心配するしね。さっき言ったように私の祖父はスペイン人だったけど、国籍をとるとか
そういうことに全く関心がなかった。だから父もスペイン国籍はなかったんだ。あとになって
手続きをして、今は私も兄弟もみんなスペイン国籍を持てるけれども。だからマドリードで
最初に仕事をするようになったとき、まだ私はスペイン国籍がなかったんだよ。

DSC_8930-s.jpg
foto por Masayo Tanimoto

* スペインではウルグアイのホルヘ・ドレクスレルと共作したりしていますね?

-確かホルヘに最初に会ったのは、スペインやラテンアメリカの作曲家の著作権を守る協会
のためのコンサートだったと思う。小さい劇場でホルヘはスペインで出した最初のアルバム
「ジュエベ」からの曲を歌った。その音楽をすごく気に入ったんだ。でもその時挨拶したりとかは
しなかった。その後彼が私のコンサートに来てくれた。でもその時も話はしていない。
彼はマドリードから60キロほどのところにあるサン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアルに住んで
いるんだけど、そこにバーがあって、たまたま私が出演することになった。そしたらそのバーに
ホルヘが来てくれた。そこで私はアルバム「ジュエベ」に入っていた「デ・アモール・イ・デ・カスアリ
ダー」とアルバム「バイベン」に入っていた「ドス・コローレス:ブランコ・イ・ネグロ」を歌ったんだ。
そしたら彼が感激して近づいてきてくれて、家に招待してくれて、それからずっと交流がある。
ホルヘはすごく優しい人だよ、ホルヘがいなかったらたぶん私の音楽は、特にブラジルでは
知られるようにならなかったかもしれない。
彼を通じて知り合ったアーティストにブラジルのシンガーソングライターのモスカがいる。
私の音楽をブラジルにもって行ってくれたのはモスカだ。
でその後ポルトアレグレ出身の友人のおじさんだといって紹介されたのがヴィトール・ハミルだった。
彼の音楽はリズムや感情表現という観点からいうとミロンガなどウルグアイやアルゼンチンの
音楽の方に近い。
そうやって私の音楽がいろいろなところとつながって広がりを持つことが出来るようになった。
ホルヘのおかげだと思うね。

* 曲を作るときはいつもポルトガル語ですか?

-いや、スペイン語で作ったものもたくさんあるよ。2003年のアルバムにはスペイン語による歌
を含めた。やっぱりスペイン語の方が時間が多くかかるので、数曲が限界だった。
でも今ずっと一緒に制作しているプロデューサーに「君はスペイン語で歌うと何かを失っている。
ポルトガル語で歌った方がいい。」と言われた。その時は大変な思いをして作ったアルバム
だったから殺してやろうかと思ったけど(笑)。
その後はポルトガル語でアルバムを作っているけど、でもスペイン語でアルバムを作りたい
という気持ちはすごくある。今まで作った中でメロディの綺麗な、シンプルな曲を選んでスペイン語
の詞をつけたらいいだろうなと思っている。
スペインやメキシコでポルトガル語で歌うとスペイン語で歌うことの必要性を感じる。日本のファン
みたいにブラジル音楽を知っている人だったら、ポルトガル語で歌っても、リズムやスタイルを
知っているから充分理解してもらえる。
でもスペインやメキシコだとその辺がうまくいかない。それを考えるとスペイン語で歌うことも必要
だと感じている。

パート2に続く

(掲載内容および画像の無断掲載・転載を禁じます)
【 2009/07/10 (Fri) 】 LeoMinax | TB(-) | CM(-)
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