「タンゴの歴史」という本を紐解くと、タンゴがダンス音楽として始まったことは書かれているが、その後のタンゴの発展については、音楽スタイルの変遷(テンポ、リズムの切り方、アレンジの手法など)を中心に描かれるのがふつうである。
ダンスの変化についてはほとんどの場合、系統的に触れられることがない。1920年代からエル・カチャファス、カシミロ・アインなどの著名ダンサーが海外へのタンゴ・ダンス普及の功績者として言及されたり、1980年代以降、ブロードウェイ・ショウの「タンゴ・アルゼンチーノ」の大ヒットによってタンゴ・ダンス・ブームが世界的に起こったことは触れられるが、ブエノスアイレスの一般の人たちがどのような場で踊ってきたか、踊ってきたスタイルがどのように変化したか、ということはほぼ述べられていない。


でもそのことは仕方がない面もある。演奏や歌は楽譜やレコードといった記録に残るが、人々の踊るダンスそのものは残すすべがない。ダンスの技が残っているのはごくわずかな映画のシーンやテレビ放送の映像か、1980年代以降の家庭用のビデオしかない。しかもそうしたダンスの特徴や意味を、文章で記述することにも非常に困難がある。タンゴ・ダンスの教則本は存在するが、文化としてのタンゴ・ダンスには、そうした記述できる範囲を超えたものが多くあることは実践者には明らかだろう。
この映画「ミロンゲーロス~ブエノスアイレス、黄金のリズム」には、およそ50~60年タンゴを踊り続けた人々=ミロンゲーロスが38人登場する。タンゴ・ダンスをするようになったきっかけも、学び方も、実際のダンスのスタイルも十人十色である。しかしその総体はタンゴ・ダンスの場で築き上げられてきた伝統とその変容、音楽との関係性、アイデンティティとの関連性などを浮き彫りにしている。いずれも書物に書かれた「タンゴの歴史」には表れない部分だ。
タンゴのもう一つの歴史、真の大衆文化としての姿が「ミロンゲーロス」にある。

