Cafe de Panchito blog

西村秀人によるアルゼンチン、ウルグアイほかラテンアメリカ音楽について
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タンゴ歌手ホルヘ・ビダル逝去

2010年9月16日、タンゴ歌手ホルヘ・ビダルが亡くなったと家族が発表した。(亡くなったのは9月14日の模様)

1928年8月12日カバジート生まれなので、享年82歳。(アルゼンチンの新聞等で享年86歳と報じられているが、よくある1924年生まれの記述は誤りだ、と私の資料には書いてある)

小さい頃からギターと歌に親しみ、一旦は海軍学校に進むものの、在学中の1945年にコンクールに出場し優勝、音楽の道へとすすむ。1948年あるコンフィテリアで客の入らない月曜日に出演する歌手としてプロデビュー。月曜日にもかかわらず記録的な大入りとなる。6ヶ月後、コリエンテス通りのカフェ・アルヘンティーノに出演、1949年のある日、そこを訪れたオスバルド・ルジェーロとホルヘ・カルダーラの目にとまり、マエストロであるオスバルド・プグリエーセに推薦、気に入ったプグリエーセは自分の楽団の専属歌手として契約した。同年8月22日プグリエーセ楽団とともに「アルシーナ橋」を録音し、レコード・デビュー。

1951年初頭、プグリエーセ楽団を離れ、ソロ歌手として独立。パンパ・レコードの専属としてギター伴奏を中心に多数の録音を残す(パンパに56曲、その後オデオンに転じて53曲)。その後、映画・テレビ・ステージでも活躍、1958年には渡米し、エドサリヴァン・ショウに出演、1965年には再渡米し1969年まで北米を中心に活躍、カーネギーホールにも出演したという。1969年に帰国してからもステージやテレビで活躍。

1986年にはアルゼンチン歌手連盟を創設、初代会長となる。

最後のアルバムは2000年の"No nos veremos mas" (Tender Records)と思われる。
<以上手元の資料をまとめてみました>

4丁のギターをしたがえガルデルばりの節回しで歌うスタイルが彼の真髄なのでしょうが、個人的にはエクトル・スタンポーニの素晴らしい楽団をバックに歌う1958年録音のモダン歌曲「メーキャップ」(Maquillaje)、「私は幸福になりたかった」(Yo queria ser feliz)がすごく印象に残っています。

1950年代末にテレビスタジオですれ違ったアストル・ピアソラと口論になったエピソードも有名です(ビダルがピアソラをタンゴの破壊者呼ばわりし、ピアソラは「音痴なガルデルの物真似」と言ったそうですが...)。

また一人黄金時代を知るアーティストがいなくなりました。

【 2010/09/16 (Thu) 】 訃報 | TB(-) | CM(-)
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